巻頭言
海外留学について
吉川 春寿
1
1東大医学部栄養学教室
pp.53
発行日 1959年4月15日
Published Date 1959/4/15
DOI https://doi.org/10.11477/mf.2425906062
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最近若い人達の外国行きがさかんである。しばらく姿を見せないと思つているとクリスマスカードを送つて来たりするので,ああそうだつたかと思う。アメリカに留学する人がことに多いようだが,アメリカの一寸した都会だと日本人留学生だけあつめて一クラスできる位の人数がいるらしい。日本全体として見たらこういう海外研究者の数は大変なものだろう。
私がこの人たちの年代であつたころ,すなわち世界情勢がそろそろあやしい頃,外国に留学できる人の数はまことに限られていた。教授,助教授の先生方でも海外留学の道はついになくなつてしまつたし,国際会議などはほとんどなかつたから,短期間の外国旅行も北支,満洲を除いては不可能だつた。こういう時代に幸にも私は戦前最後のロックフェラーフェロウとして当時敵性国であつたアメリカに留学することができた。けれどもそのときは本当の話,米国留学は気が進まなかつた。敵性国だからというばかりでなく,米国の研究室の事情がほとんどわからなかつたからである。ロックフェラーフェロウの先輩の少数の方々の話を聞いただけで行つたので,何をどこで勉強したらいいか勝手がわからず,はじめのうちは大変困つた。その頃の米国の基礎医学の教室はそう驚く程の設備はなかつたが,能率的な運営のし方に感服した。1〜2ヵ月して私はアイソトープの利用が非常な発展性のあることを悟り,どうしてもこれだと,その技術習得に私の留学期間をあてることにした。
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