あとがき
「生体の科学」50号発刊に際して
関根 隆光
,
江橋 節郎
,
中井 準之助
,
内薗 耕二
,
吉川 春寿
,
杉 靖三郎
,
熊谷 洋
pp.291-296
発行日 1957年10月15日
Published Date 1957/10/15
DOI https://doi.org/10.11477/mf.2425905975
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"基礎医学を核心として,その相互の連繋をもとめ,更に広く臨床医学への連関をもとめ科学分野の力を総合して日本医学発展の一助たらしめよう"という希望をもつて,本誌が生れたのは昭和24年4月1日であつた。それから満8年4カ月今茲に50号を送り出すに至つた。編集同人の1人として嬉びにたえない。
この8年の間に日本の医学は大きく廻転した。殊に生物物理化学の著しい発展に支持されて医学と生物物理化学との境界がますます近接乃至入りまじつて物理学者が医学へ又医学者が生物物理学の領域へ踏み込んで研究をすゝめつゝある。この事は研究進展の必然の成り行きではあるが,我々医学者殊に基礎医学者にとつて一つの問題を提供する。生命現象を追究して細く細く進む一つの生命単位としての細胞から更に原形質蛋白即ち生蛋白につき当る。そして細胞の生活現象をつきとめるには,物質としての蛋白の基礎的性質を明確にdefineせねばならない。この段階に達すると,我々医学者の手ではどうにもならない限界があつて,物理学者の手にゆだねなければ,真実をとりにがすおそれがある。物理学者の手にゆだねることは,これを自らの手から放棄することではない。兎狩りに於いては我々は勢子の役を果せばよいのではないか,張り廻らした網の中に兎を追い込むだけでよい,兎の捕かくは捕かく者に任せればよい,それだからといつて捕かくの名誉が捕かく者丈に行くものではない。
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