研究室から
新潟だより—新潟大学医学部薬理学教室
松田 勝一
pp.223-224
発行日 1956年2月15日
Published Date 1956/2/15
DOI https://doi.org/10.11477/mf.2425905878
- 有料閲覧
- 文献概要
新潟は東京から急行にのつて6時間の距離である。清水トンネルは丁度その半分のところにある。富山県へ越えるにも7時間ほどかかる。兎に角大きな県で,それが可なり長く日本海に臨んでいる特殊性がある。新潟大学の敷地は海に近い砂丘であるから,冬になつて海が荒れて来ると遠く浪音が聞えて来る。
新潟医大藥理学教室の最初の担任者は,真崎健夫氏(現北大)である。氏は化学実験に興味をもち当時多数の化学器械を購入したので,これは今でも大いに役立つている。木原玉汝氏がそのあとをついだが終戦の翌年不幸病に斃れ,昭和22年医学部となつて私がこの地に赴任した。赴任当初の助教授福原武氏は岡山で生理学を担任している。同じく教室にいた横山正松氏は福島大の生理,角田幸吉氏は弘前大の藥理の現教授としてそれぞれ活躍している。信大藥理助教授大鳥居健君も本教室出身である。
Copyright © 1956, THE ICHIRO KANEHARA FOUNDATION. All rights reserved.