交見 「生理学者は生化学者に何をのぞむか」/「生化学者は生理学者に何をのぞむか」
共同の大きい旗のもとに両者の学は相補ない相助けよ,他
竹中 繁雄
1
1岐阜大学生理学
pp.134-136
発行日 1966年6月15日
Published Date 1966/6/15
DOI https://doi.org/10.11477/mf.2425902679
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50年前なら生理学を親の家と思つて下さる生化学者も多かつたので,「生」について研究しにくいことがあれば生理学へ相談しなさいと言わねばならなかつた。「生」の問題をふたつに分けることはできないから生理学と生化学とは先棒をかつぐか,後の方をかつぐことになる。この前となり後となつて共に担うということは困難なことであつて,生理学にかつがせる生化学者も多かつた。
私は日本語の自生理学」は徳川時代の人身窮理を明治にはいつて改めたもので,現在のアメリカのPhysiologyに当るものではないと思う。現在アメリカにはPhysiologyand Biophysicsという部局があるが,日本語の「生理学」はPhysio-10gy and Biophysicsと英語で示すのがよい。そしてPhysiologyを「古典生理学」といい,Biophysicsを「生理学」という方がよいと思う。なぜなら古典生理学よりもBiophysicsの方が「生」の問題を一層力強く担つているからである。アメリカのPhysiologyと日本の生理学とが独英から受入れた時期もその程度も違い,また発達が違うからにはアメリカ流のPhysiologyを日本の生理学と違うとしても必らずしも誤まりではない。
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