話題
萩原記念国際シンポジウム―岡崎国立共同研究機構生理学研究所,平成2年12月17日~19日
大森 治紀
1
Harunori Ohmori
1
1生理学研究所生体調節研究系生体システム部門
pp.160-161
発行日 1991年4月15日
Published Date 1991/4/15
DOI https://doi.org/10.11477/mf.2425900184
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UCLA医学部生理学教授,萩原生長先生は1989年4月1日にロスアンゼルスの自宅で亡くなられました。享年66歳でした。アメリカの友達から電話の連絡があったのは,日本時間で4月2日の早朝でした。生理学研究所に数日間滞在したその友達は,私が頼んだ日本からのおみやげを萩原先生に届けようとして,先生の逝去を知りびっくりして国際電話をかけてきたのでした。その時には,いろいろな思いがあって,なかでも父親が亡くなった時のような気持ちが大きなものでした。私は1980年夏から1982年の夏まで先生の研究室でお世話になりました。Hagi,あるいは萩さんと呼び,皮肉で辛らつで温かく大きくてそのくせ弱々しい先生に私と同じような気持ちを抱いた人も大勢いるのではないかと思います。萩原先生の研究室で過ごしたそれぞれの時間を共有する人達が集まり,平成2年12月17日から19日まで,萩原記念国際シンポジウムが生理学研究所で開催されました。外国からの参加者は30名が口演,2名が討論参加でした。国内からは,19名の口演とおよそ20名の招待参加者,および多数の生理研のスタッフが参加しました。研究所の会議室を会場としたために,100名が限度であり多少窮屈であったかも知れません。
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