特集1 一気に大量88人退院物語。
④患者さんを変えようとしない。「退院可能な条件」のほうを変えていく―PSWはそのとき“何でも屋”になった
澁谷 祐介
1
1飯田病院
pp.42-45
発行日 2006年1月1日
Published Date 2006/1/1
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1689100028
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私が新人精神保健福祉士として飯田病院へ入職したのは1998(平成10)年3月である。私の精神保健福祉士としての経験は、当院が退院促進および地域ケアへ移行し始めた時期にほぼ重なる。振り返れば私自身は、当時も(そして今も)しっかりとした退院促進や地域ケアなどの考えをもつことができておらず、いわれたことをやるという受け身的なかかわりであって、自分が中心になって何かを成し遂げたというわけではない。すべて諸先輩方の努力の賜物であり、私はたまたまその時期に働いていただけに過ぎない。なので、何かを論じられる立場ではないが、思い出すままに振り返ってみたい。
実はすごいことだった
さっそく余談になるが、当院では2004年度長野県のモデル事業「長期入院者退院促進事業」に取り組んでいた。その事業を進めていくなかで他の地域の取り組みや状況などを耳にしたりして、実は当院が行なった退院促進および地域ケアの充実を図った取り組みは、けっこうすごいことなのかもしれない、と改めて認識するようになった。今現在も当院のスタッフの多くは、あまり「すごいことをやった」という感覚はなく、「やらなければならなかったことを当たり前のようにやった」くらいにしか思っていないのではないだろうか。
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