連載 認知症の人とその家族から学んだこと—「……かもしれない」という、かかわりの歳月のなかで・第12回
挨拶がケアになるとき
中島 紀惠子
1,2
1新潟県立看護大学
2北海道医療大学
pp.284-285
発行日 2018年4月15日
Published Date 2018/4/15
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1688200908
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挨拶の奥行きは深い
居酒屋の暖簾に手をかけるや否や「いらっしゃい」「こんばんは」と威勢のよい挨拶にびっくりすることがある。店の利益を意図した投機的振る舞いがありありとわかり、ちょっと鼻白みながらもその懸命さにいつの間にか身を委ね、ついつい長居をしてしまう。また、人通りのまばらな路ですれ違いざまに「こんにちは」と声を掛けられ、反射的に「こんにちは」と返し、何だか清々しい気分にさせられるときもある。
自覚なしのうなずき合い、微笑み返しなどの挨拶は至るところでみられるが、ただうなずき合っているような仕草も、言語不明瞭なのにしっかりと伝わり合っている挨拶もある。このような振る舞いを岡田氏は「行為の意味の不定さ(indeterminacy)」と呼んでいる*1。
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