連載 介護することば 介護するからだ 細馬先生の観察日記・第19回
誰かの席に座ること
細馬 宏通
1
1滋賀県立大学人間文化学部
pp.176-177
発行日 2013年2月15日
Published Date 2013/2/15
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1688102438
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相手を諭そうと、誰それの立場に立って考えなさい、とか、その人の身になったらどんな気がするか想像してみなさい、といった言い方をする。言われたほうは、ああそうだ、ずいぶん自分は身勝手だった、ととりあえず反省はするのだが、しかし、自分ではない誰かの立場に立ったり身になったりするのは、言うほど簡単ではない。たいていは、相手を泣かしたり怒らせたりしてようやく、ああ、立場も身もわかっていなかったのだ、と遅れて気づくことになる。やっぱり自分には相手を慮(おもんばか)る力がないのだろうか、としょげるものの、ではどうすればそんな力がつくのだろうか、と途方に暮れてしまう。
最近では「コミュニケーション力」ということばも流行している。もしかすると、誰かの立場がわからない鈍感な私には、相手を思いやる仕事なんか向いてないのじゃないかしらん。そんなふうに、私たちは、コミュニケーションの力をあたかも個人の能力のみに帰して考えがちだけれど、最近のコミュニケーション研究でわかってきたことは、コミュニケーションは、当事者をとりまく環境に深く関わっていること、にもかかわらず、当事者はそうした環境をそれほど意識しているわけではない、ということである。
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