巻頭インタビュー ケアする人々・14
僕は見えなくても不自由じゃない
葭原 滋男
pp.839-845
発行日 2012年10月15日
Published Date 2012/10/15
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1688102316
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今年ロンドンにて開催されたパラリンピックでも、正式種目として競われたブラインドサッカー。プレーヤーがアイマスクをつけて行なうこの競技は、目の見えない人と見える人が分け隔てなくプレーできるのが特徴だ。ブラインドサッカー日本代表の葭(よし)原(はら)さんは、10歳の頃に網膜色素変性症と診断され、22歳の頃に「視覚障害者」の認定を受けた。しかし、49歳になったいまでも、「自分が障害者という自覚はない」と言う。実際、ブラインドサッカーの試合中には、まるでまわりが見えているかのようにボールを蹴り、すばやい動きでフィールドを自由に駆けまわる。一方、社会が定義するところの「障害者」に対して、どう接してよいのかわからない「健常者」。そんな健常者の抱える不自由が、葭原さんの話から浮き彫りになる。人と人とが関わるときに必要な、さりげないコミュニケーションの妙とは――。
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