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編集室から
昨年末の12月6-7日,東京国際フォーラムで第22回日本看護科学学会が開かれ,そのなかで市民との相互交流を意図した市民フォーラム「家で死ぬこと,看取ること」がもたれた。看護側の演者として登壇した川越博美氏は,在宅死を望む市民の声は強いものの,その実現がなぜ難しいか,また,実現させるための条件にはどのようなものがあるかを,自身の研究成果なども交え紹介した。なかでも興味深かったのは,在宅死を望んでいる市民のほとんどが,一方では在宅死は無理だと考えているという調査結果であった。日本人の7割が在宅死を望んでいるといわれているが,じつは無理だと考えているからこそ,むしろ“憧憬”は強まっていくという,市民の倒錯した心理がその数字に込められていることを浮かび上がらせたからだ。
この調査研究は,川越氏らが在宅死をテーマに墨田区で開いた区民への連続講座受講者を対象としたもので,上の答えは受講前に行なった調査の結果であった。そして受講後,同じ質問をしたところ,在宅死は決して無理なことではない,という意識に大半の受講者が変化していったというのである。
現代は在宅死が普通だった時代のように,連続したプロセスとして死をみることができにくくなっており,また,在宅死を支援する社会資源がまだ乏しいうえ,それがどこにあるかもわかりづらい―これらが隘路となって,在宅死を“憧憬”の段階にとどまらせていることが考えられる。つまり,地域住民に,その隘路を閉ざすような働きかけをしていかない限り,訪問看護ステーションの増加など体制整備は進んでも,需要は思うようには増えないかもしれないのである。
川越氏らによるボランティア講座は,その具体的な働きかけの1つであるが,またそれは,看護が患者・利用者を対象とする個別援助だけに留まるものではなく,このような健康問題を契機に社会でも積極的な役割を担おうとする,「看護の新たな役割拡大」へのチャレンジでもあった。
対談相手の山崎章郎医師は,千葉・八日市場市民総合病院での外科医としての経験を記した『病院で死ぬということ』(主婦の友社,1994年)をはじめ,死の看とりをめぐる問題を,数々の著書を通して問いつづけてきたホスピス医である。その山崎医師は開設以来12年間かかわってきた聖ヨハネホスピスでの経験を生かしつつ,地域でのホスピスケアの新たな展開を,コミュニティケアという言葉に込めて試みようとしている。
病院から施設ホスピスへ,そして「コミュニティケア」へと,地域志向を強めつつある山崎医師と,「家で死ねるまちづくり」を実践してきた川越氏に,地域でホスピスケアを担うことの意味とその可能性について,語り合ってもらった。
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