特集 阪神・淡路大震災が看護に問うもの
夜勤婦長としての体験から
弁野 由起子
1
1兵庫県立塚口病院
pp.212-218
発行日 1995年5月15日
Published Date 1995/5/15
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1686902189
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"ドーン""ガシャーン"というわけのわからない大きな音で,突如眠りを中断させられた.窓の外が一瞬光ったようが気がし,雨が降っているような水の音がしたため,大きな雷でも落ちたのかと思い立ち上がった.その瞬間,立っていられずベッドに引き戻されるような横揺れに襲われた.1995年1月17日午前5時46分に発生した震度7,死者5,500人以上という阪神大震災の長い1日の始まりであった.
私の勤める兵庫県立塚口病院は,尼崎市のほぼ中央に位置する.淡路・神戸・西宮ほど被害は大きくはないが,震度7に近い地震にみまわれた.その時,夜勤婦長として勤務していたのであるが,適切な対応できたとは言い切れない.後で考えると「ああすればよかった」「こうすればよかった」と思う点は多々ある.その点も含めて,体験を振り返し報告することで,今後二度と経験したくはないが,同じような災害が起きたときの看護管理に多少でも役立てば,幸いである.
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