連載 amans惠道通信・20
カルテの余白
飯島 惠道
1
1東昌寺
pp.658-659
発行日 2002年8月10日
Published Date 2002/8/10
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1686902150
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●余白を埋めるのに追われると
余白とは「文字などを書いた紙面の,白く残っている部分」である。行間,アソビ,間,余韻,これらは「余白」とよく似た趣をもつ言葉だ。これらはさらに,何もないこと,あるいは,意味づけを必要としない世界であると言い換えることができるだろう。仕事に追われ,忙殺される日々が増えてくると,「余白」に対する憧れが強くなってくる。今の私がその状態。だいぶ長い時間考え事をし,ためらい,その上でようやっと行動を起こす,あるいは,行動を起こさない,私はそんな人間だ。要するに「余白」が多いタイプの人間なのだ。
しかし,追われている今は,ゆっくりと考えをめぐらしている暇はない。考える前に,反射的に目の前のことを片付けていかないと現実が進まない。進まないどころか,ブレーキをかけかねない。そうならないようにするには,愚図な自分を押し殺し,あまり深く考えずにてきぱきと仕事をこなす人間を演じきらなければならない。このようにして余白を埋める作業を強いられることは,私にとってかなり苦痛なことである。まだまだ修行が足りないため,足手まといになるようなことをしてしまうことが多いが,皮肉なもので「考え過ぎて行動を起こせない悪い癖」が,少しずつ改善されてきているようにも思う。
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