連載 彷徨い人の狂想曲[22]
あるがままの詩
辻内 優子
1
1心療内科・小児科
pp.900-903
発行日 2004年10月10日
Published Date 2004/10/10
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1686100563
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わたしは小さい頃から,何やら周囲とは折り合わない自分を感じ,言い表わしようもない違和感を抱きつづけてきた。赤い色を見せられて,それが「赤」だと教えられれば,その色を「赤色」と認識する。しかし,その色が実際にどう見えるかは,人によって違うのではないか。犬や猫が認識する色覚の世界と人間の認識する色覚の世界が違うと聞いたとき,しごく納得がいった。同じ世界でも,見る者が違えば,世界そのものも変わるはずなのだ。そう,おそらくわたしには,人には見えないものが見えるのだ。
わたしは,ごく平凡な会社員の父親と,どちらかといえば呑気な専業主婦の母親との間に長男として生まれた。父親は当時の日本社会の例にもれず,残業続きで忙しく働いており,子育てはもっぱら母親に任されていた。特別,何かを強制されたり,束縛を受けることもなかったはずなのだが,同年齢の子どもとは遊ぼうとはせず,いつも自分の世界に閉じこもっていたという。ひとつの遊びに凝り出すと,日がな一日同じ遊びを繰り返したり,蟻の行列に魅入られて何時間も眺めていたりしたらしい。言葉が出るのも遅く,3歳になってもろくに話せなかったために,自閉症という病気を疑われたらしいが,「男の子は言葉が遅いから」と,呑気な母親のおかげで,ちょっと変わった子という程度の認識で周囲に受け入れられていた。今から思えば,自閉症という診断は正しかったのではないかと思うが,診断名というのは,大勢の理解を超える現象に対する畏怖を,病気というカテゴリーに封じ込めることで周囲が納得し安心するために存在するものであるから,わたしを普通だと思っていた母親には必要のないものであったのだろう。
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