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1.はじめに
現象学的研究には,「難しい」という響きがつきまとっているように思う。実際に,現象学の哲学書は難しい─この点については,理解のために相当の時間と協力者を要する。この理解をどのくらい求められるのかがわからない─これは継続して議論している。どのように進めたらよいのか,方法が明記されていないために戸惑う─これは現象学自体が避けようとしていることだが,考え方や進め方の筋道は必要だと思う。
ここに記してみて気づいたのだが,現象学的研究の,他の研究(方法)ではあまり問われない難しさは,この研究(方法)が現象学的な考え方自体は示していたとしても,それが,例えば看護研究を進める際に知りたい,「どのくらい」や「どのように」という問いに応じていないからであろう。しかし現象学は,この「どのくらい」「どのように」を,そのつど,取り組んでいる研究の目的や接近しようとする事象に従って検討することを要請する。鷲田(1997)も,現象学は「世界をそれが現われているかぎりでその現われにそくして問題にする。だからそこでは,現われの構造,つまりは,何かが何かとして何かに対して現われるときのその〈関係〉が問題となる」(p.8)と述べているとおり,現象学的研究においては,そのつど,目的や事象に即して問題や方法を検討し,それまでのフォーマットを換骨奪胎(捉え直)してつくり出していかなければならない。それは同時に,これまでもっていた自身の枠組みや前提を問い直したり,時にこれを棚上げしたりして(=これまでの見方に縛られずに),別の見方や枠組みを求めて探究を進めることでもある。
言うは易く行なうは難し。これにはとても多くのエネルギーを要する。自身の存在自体が揺さぶられるような経験となるかもしれない。自分の前提を捉え直すことは,自分が立っている足場(=基盤)を組み換えることでもあるからだ。この研究に向かう態度が,この態度に馴染んでいないことが,難しさを生み出しているのではないか,と思う。
本稿では,現象学的研究の考え方や態度を再点検する。これによって,実際の研究において何が重要視され,そこにいかなる特徴があるのかを見いだすことを目論む。先取りになるが,特徴として見いだされるのは,「そうではなくて」という現象学の思考のスタイルである。常に,「そうではなくて」と自らを問い直しつつ事象に立ち帰り,そこから経験の現われを形づくっていく。その取り組みを難しいとするか,やりがいや楽しみとするのかは,取り組む者の経験次第だろう。加えて,看護研究が現象学に何を学び,現象学と看護研究とがどのような関係にあることが期待されるのかを提案する。これも,現象学の思考のスタイルと深くかかわっていると推察される。
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