連載 りれー随筆・322
大きな喪失の中で求められるグリーフケア
大平 光子
1
1山形県立保健医療大学
pp.952-953
発行日 2011年10月25日
Published Date 2011/10/25
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1665102025
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2011年3月11日の東日本大震災。大きく長い揺れが続き,大波に揺られる船に乗っている感覚だった。建物のきしむ音。まもなく停電。いろいろな思いを抱えて故郷を離れ東北の地に暮らして,4回目の卒業生を送り出す前日の出来事だった。
私にとって,もう1つの地震の記憶は,1995年1月17日早朝の阪神・淡路大震災。大きな揺れで目覚めた直後,兵庫県の実家から,「大きな地震があったけど大丈夫だから」と電話があった。その後,電話はまったくつながらなくなった。明るくなるに連れて,テレビに映し出される見慣れた場所の惨状。これは本当に神戸で起こっていることなのか? 現実を受け入れられなかった。安否が気にかかる人たちと連絡が取れない歯がゆさと焦りに心が占領され,故郷から遠く離れていることを恨めしく感じたことを思い出す。
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