特集 助産を学ぶということ
私が考える,助産を学ぶということ② 達人が育つための条件
毛利 多恵子
1
1毛利助産所
pp.1052-1055
発行日 2006年12月1日
Published Date 2006/12/1
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1665100899
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私が助産を学んだ経験
助産所という場での学び
私にとって「助産の本質」を学んだと思うのは,臨床経験がまだ2年の新人の段階で助産所で働いた3年間でした。この初期の3年間は,18年目を迎える実践のなかでも大きな意味をもっていました。母が開業する助産所で,女性,赤ちゃん,その家族に「出会うこと」「生理的な体の変化をしみじみと実感すること」,ベテランの助産師魂をもつ達人の「日々の助産をする背中をみること」が学びでした。助産所という妊産婦が安心できる場というのは,実は新人の助産師にとっても安心して,のんびりと深く学べる場でもあり,女性たちの本音を聴くことができる場でした。
大学で助産師教育を受けたときにはない経験,周産期医療センターでハイリスクを対象としたケアを学んだときにはない経験が,助産所でのお産にはありました。お産に立ち会うことには大きな意味がありました。女性にとって出産というピークの体験があるように,助産師にとっても自然出産に出会うことは大事な通過点だと思います。また,この助産経験は,「合点がいく」「シンプルにわかる」という臨床経験であったように思います。これらの経験が,私にとっては,その後の助産観の確立や,教育をするうえでも,国際協力するうえでも,助産の実践を積み重ねていくうえでも,社会に発言するうえでも「基礎」となっています。つまり,助産師とは何をする人か,助産とは何かについて,経験をもとに語ることができるようになったということです。
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