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はじめに
筆者は精神科医に転ずるまで,6年ほど産婦人科医として勤務してきた。なぜ科を変えるに至ったのか,その理由から話を始めたい。
そもそも,崇高な志とか「子どもが大好き!」といった理由で産婦人科を選んだわけではなかった。医局の居心地が良さそうだからとか,お産も手術も行なえて医療者として充実感を十分に味わえそうだからとか,目出度い場面に立ち会うことが多いので気が楽だろうとか,その程度の安直な発想でしかなかった。
数多くの妊婦たちと接し,数多くの分娩をこなすうちに(当初,筆者の在籍した大学では,教授の意向で医局員は受け持ちの産婦が分娩を終えるまで,つきっきりでフォローすることになっていた。助産師まかせであとは分娩の最後に立ち会うだけ,といった楽なシステムにはなっていなかった),いかに自分勝手でいい加減な妊産婦が多いか,いかにでたらめな家族が多いか,いかに精神の歪んだ人々が多いかを実感するようになっていった。
そのような人々が多いからこそ,医療者の関与が必要なのだと考えるべきなのかもしれない。しかし,筆者には寛容さが欠けていたようである。事態が差し迫っているわけでもないのに救急車をタクシー代わりに呼んで分娩に来る者,教授に診てもらっていたからと尊大で身勝手な要求ばかりする者,陣痛が苦しいから何とかしろと居直る者,礼儀や良識をわきまえない横柄で行儀の悪い家族,新生児が口唇裂だったからと医療者を訴えようとする他責的な一族,もともと子どもなんか欲しくなかったので養子に出せないだろうか,と入院中に相談してくる褥婦,医療費を踏み倒そうとする者,医療者の誠意を頭から否定しいかなる説明に対しても猜疑的な態度で臨む夫,等々……。
率直なところ,まだ若かった筆者は次第に「むかついて」きたのである。あまりにも多くの母親予備軍たちは,子どもを産むことに対する覚悟や責任感を欠いている。子育てのプロセスにおいて行儀作法や道徳をも教えなければならない親たちの無作法さ加減はどうだ。ペットを飼うことと子どもを持つことに違いがあるのを,彼らは自覚しているのか?
うんざりし,絶望したのである。以上が産婦人科を辞めた理由の第一である。
もう一つの理由は,おしなべて外科系の医師は患者の話にじっくり耳を傾けたり,共感的姿勢を示すことは不得手である。どうやら自分にはそのあたりに精神科医としての適性が備わっているような気がした(自分としては共感的,支持的に接しているつもりだったのに,患者サイドはたんに身勝手で刹那的なだけでしかなかった事実が,余計に産婦人科医としての筆者の絶望度を高めることになったのかもしれないけれど)。ならば,最初から心を病んでいるとわかっている相手には,それなりに腹を据えてじっくりと対応できるだろう。心構えもできているから,失望したり立腹することもない。割り切ってしまえる。それが二番目の理由であった。現在では,精神科医が自分の天職だと思っている。
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