NURSING EYE
臨床実習:学生の涙と光の軌跡が語るもの
千田 好子
1
1岡山県立短期大学
pp.530-533
発行日 1986年8月25日
Published Date 1986/8/25
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1663908265
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まえがき
20年におよぶ臨床指導から,筆者が得たものは何かと振り返ってみると,患者—学生,学生—教員,そして患者—臨床指導者の関係の中から‘人’それぞれの存在意義を知ったことだろう.学生よりは経験豊かな筆者が,気付かなかった患者の姿を学生が知っていて教えられたり,教員のアドバイスを手がかりに学生が患者を知るようになったり,患者さんから学生指導のあり方を教えられるなど,臨床の実習では教室での口述や机の前にあって読む書籍の内容とは,また別な何かがあるということを知る.それを<臨床の知>と言うのだろうか.また,<臨床の学問>と言うのだろうか.
ベッドサイドでは,体験が織りなす‘人と人との相互作用’の展開が多くの所産を持ち込むものである.かつて,筆者は‘臨床実習における教員の役割’(看護教育,22巻,8号)の中で,臨床で筆者が一個の人間として,学生とあるいは学生の受け持ち患者と接している中で‘患者の求めるもの’‘学生の求めるもの’そして‘教員である筆者が求めるもの’それぞれの持つ意義について,重要性を記した.すでにE. ウィーデンバックも“臨床実習指導の本質”(都留伸子ら訳,現代社,1972)で同じ内容を論じているし,最近では中村雄二郎の“魔女ランダ考”(岩波書店,1984)の中にも,そのような内容が記されていたと記憶する.したがって,筆者の考えもあながち本筋からはずれていないようである.
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