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「すぐに手が動く看護婦でなければ」
浅野 郁子
1
1岐阜市立看護専門学校
pp.1
発行日 1983年1月25日
Published Date 1983/1/25
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1663907768
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浅野郁子先生は昭和26年,当時の岐阜市立乙種看護婦養成所の教務に入って以来,今日までの31年間,看護婦養成に力を注ぎ続けてきた.先生の行う看護教育の基本には,一貫して学生として学んだ日赤での教育姿勢が受け継がれている.
第2次大戦後,日赤の看護婦養成所は聖路加女子専門学校と合同して東京看護模範学校と呼ばれ,新しい看護婦教育力桁われており,看護界に多くの指導者を輩出してきた.ここでの教育について,先生は‘看護婦はまず手を動かさなければならないということを教えられてきたと思います.例えば冬の寒い日など,患者に触れる前にまず手を暖めてからというように,1つ1つのことを細かく言葉で教わったわけではありませんが,患者の日常の中に抵抗を持たれずに入っていけるような教育が行われていました.それが今,学生を指導するのにほんとうに役立っていると思います.看護というのは知識・学問を究めなければならないのは当然ですが,それに見合う実践活動がなければならない.これが私の看護教育を行う上での基本になっています’と話してくれた.
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