メモランダム
‘学ぶ’うということ,‘学ばせない’ということ
小野 殖子
1
1日本看護協会看護研修学校
pp.512-513
発行日 1979年8月25日
Published Date 1979/8/25
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1663907359
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考えてみるまでもなく,この世に生まれて最初に出会う,はっきりした他人は先生である.幼い日,身の回りの世話をしてくれた女中さんとか遊び友達も他人であったが,それらの人々とは実生活を通しての心理的距離を意識することはない.すなわち自分の世界内存在として,初めから認識していたといえよう.
幼い時期を顧みるとものがわかるということは,実に自然感覚的である.子供の世界というのは,一見無秩序かつ相互に一方的であり,論理的に確認しあうことを必要としなかった.語彙(ごい)が少ない,感情の発達が未熟だ,客観視どころか主観的能力さえ未発達だ,などいろいろいわれてはいるが,私のみるところでは,からだそのものが表現(沈黙だけの行為を含む)の道具であったのだ.
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