私の発言
‘人間看護’といわれる不幸—病床で考えたこと
森 日出男
1,2
1名古屋保健衛生大学
2名古屋保健衛生大学付属病院
pp.401-405
発行日 1976年7月25日
Published Date 1976/7/25
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1663907001
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視力低下をきたしている医療の現状
病院に看護があるかとの問いかけは,果たして病院とは何なのかという本質的問いかけとなる.看護婦たちの志向性を別にして,看護というものは余りにもその病院という名の魔力によって左右されるもめである.もっというなれば.医師院長を頂点にした医師集団の力,あり方によって,好むと好まざるとにかかわらずいろいろの様相を呈してくる.
ここでは,‘看護'とは何か,‘病院'とは何かといった定義論を今さら言おうとは思わない.分かりきっていることだし(後者の場合は分かっていないところも随分あるようだが),言ってみても,結局は物理的に経済的に致し方のないことだとされるに決まっている.あるいは古い慣習の旧家の中で姑(しゅうとめ)に忍従し,したいことも思うにまかせぬいたいけな嫁(よめ)のごとく時には感性をも麻痺させてその環境に順応させてしまっていく.
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