教育の眼
規格外の教育
佐藤 忠男
pp.274-278
発行日 1973年4月25日
Published Date 1973/4/25
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1663906671
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身体障害者の福祉,ということが問題になるたびに,私には,ひとつのナゾとして頭に浮かんでくることがある.身体障害者といっても,いろんな種類があるから,いちがいにはいえないが,ある種の身体障害者は,ほんらい,十分に立派な社会人として生きられる能力を持っていながら,その能力を仲ばす機会を不当に奪われているのではなかろうか,ということである.
たとえば手足の不自由な人の場合である.手足が不自由だということは,知能の発達とは関係がない.だから,手足の不自由な人は,肉体労働をするというわけにはゆかないが,知能労働には十分に耐えるはずである.学者・教師・事務関係や情報産業関係などには,すわったままやれる仕事はかなりあるはずである.ただ,それらの仕事では,すわったままでもやれないことはないが,自由に動ける人のほうがきっと有効に使える,という面があって,あまり観迎はされないと思われる,では─これはあくまでも思いつく1例だが─翻訳などという仕事はどうだろうか.これならばすわっていてもやれるのではなかろうか.
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