看護学校のあゆみ 京都大学医学部附属看護学校・3
養成所規則・昭和初期のこと
荒木 操
1
1京都大学医学部附属看護学校
pp.37-42
発行日 1966年6月1日
Published Date 1966/6/1
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1663905639
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当校看護婦見習講習科第6回の卒業(明治36年5月)である高橋ミチ先生は,さきにも紹介したが,3代目の看護長(総婦長)である。初代は同志社女学校看護婦養成科第1回卒業の不破ユウ先生,2代目看護長は赤十字看護婦養成所出身の永井モト先生である。
高橋ミチ先生は小児科勤務で小児看護のベテランで,よく研究され,著書〈小児の養護〉を発行された。また図のように臍ヘルニア調整圧迫器およびソケイ脱腸帯を考案されて,患児とその母親によく指導された。大正4年の頃である。
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