私の看護教育論
看護要員不足対策を中心として
岩井 正二
1,2,3
1信州大学
2信州大学医学部付属病院
3信州大学付属助産婦学校
pp.53-56
発行日 1965年10月1日
Published Date 1965/10/1
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1663905528
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はしがき
先日突然医学書院から「私の看護教育論」という題で何か書けという依頼をうけて驚いた。私は看護教育ということにはずぶの素人であり,従ってそれに対する専門的知識は全く持ち合せがないので固くお断りしたが,どうしてもということでお引き受けした次第である。
もっとも私は昭和36年から病院長ということをやらされ,また38年からは助産婦学校の校長をやっている関係で,その立場から時々現行の看護婦助産婦教育制度について不満を漏らしてきた。ちょうど大学病院課の板谷課長は戦時中一緒に南方セレベスで仕事をした関係があり,また森さん(前補佐)徳平さん(現補佐)にも種々お世話になって親しい間柄であるので,大学病院課に行った時には時々勝手な放言をしてきた。恐らくそのためこのような羽目になったと考えられるので,以下その放言を並べて依頼の責を果したい。
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