連載 1つの看護教育史 1946~53 東京看護教育模範学院で学んだ人々・3
学生の看護力という名の労働力
川島 みどり
1
1健和会臨床看護学研究所
pp.234-237
発行日 1992年3月25日
Published Date 1992/3/25
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1663900361
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教務事務室の前の小径は,結核病棟への近道でもある.昼食を済ませたらしい3年生が数人固まって,まだ肌寒い風に首をすくめながら,芽ぶき始めた木立ちのあいだを早足で登っていくのを横目に見ながら,外池(日赤教務主任)は受話器を置いた.電話は,2階の主事室からであった.管理委員会(日赤女専と聖路加女専が,司令部の指導のもとに看護教育模範学院を共に運営するために,教育方針から財務人事に至る諸問題がここで論議され決定された)で出された学生の看護力の算定に関して,できるだけ科学的な評価のできる資料を聖路加の教務と相談し,4月の会議までに準備して欲しいというものであった.1949年3月末のことである.
学生実習の病院看護への貢献をめぐる論議は,公式な会議で何回も行なわれていたようであるが,湯槇は,模範学院創設の頃の困難の1つに,この,学生の看護力への依存を挙げている.
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