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研究会から学会へ―教員たちが積み上げてきた活動
大島 今回、「組織として見据える看護教育のこれから」というテーマをいただきましたので、まずは私たちが所属する日本看護学教育学会(以下、当学会)の歴史を振り返ることから始めます。私は、最初に学生に教えるとき、日本の看護のなかで根幹になっている保健師助産師看護師法(以下、保助看法)を理解しておくことが大事だと話しています。この法律は、第二次世界大戦後、看護の体制を整えていくために1948年に制定され、看護師とは、保健師・助産師とはどのようなもので、どんな役割があるかが示されています。その後、この法律に伴う看護婦保健婦助産婦養成所規則ができ、看護の教育とは、どのような制約・条件のもとでできるのかということも、ここで形づくられたと考えます。そこに至る経緯も含めて、私たちはよく知っておく必要があると思っています。
戦後、GHQ(連合国軍最高司令官総司令部)の指導の下、看護教育における審議会が厚生省、文部省のメンバーを含めて開催され、どのような看護教育をしたらよいかの考えが出されました。最初に模範的な学校―東京看護教育模範学院―を、 聖路加と日赤(現在の聖路加国際大学と日本赤十字看護大学)との合同でつくりました。その後、その教育を全国に広めていくために、看護婦学校専任教員の講習会が開かれました。この講習会の同窓会が当学会の前身である「看護教育研究会」となりました。この研究会が、教育の質の担保と看護教育研究の発展をめざしてワークショップ等を開催するなど、全国へと拡大する活動を続け、「全国看護教育研究会」へと名称変更になったのです。私たちよりかなり上の先輩たちが、GHQや国の指導を受けながらも、看護の教育を自分たちの力でなんとかしていこう!という主体的な意欲をもって、この活動の集まりが始まったのだと思います。
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