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家族や医療者は,患者が水道の蛇口から貪るように水を求める姿に「どうしてあんなに?」と心を痛めその安全を願いつつ,考えあぐねてきた。ここに,『多飲症・水中毒』という症状に苦しむ人々に向け,山梨県立北病院の精神医療スタッフによるケアの集大成が一冊の本にまとめられた。本書を読み終え確信したことは,人々は,自分で自分をコントロールしながら社会生活を送っていること,そして,日常の生活のなかで飲食ほどその人の意思によって量質ともにコントロール可能なものはないということである。
数年前,私は学生と精神看護の実習に臨んだ。その時出会った50歳代の女性は,娘が嫁いだ後,統合失調症の治療を受け,数年後水を飲み始めた。過剰な飲水が目立ち始めたのは一人家に残してきた夫が癌で手術を受けなければならない事態を知ってからであった。学生は日々の関わりのなかで何もできない自分に苛まれていたが,その女性が幻覚や妄想に苦しみ,夫に対する妻としての苦悩をも持ち合わせていることに気づいた。その後,朝は検温の後女性が告げる体重と前日の夥しい飲水量を淡々と記録し,ベッドを整え身支度や洗面をつかず離れず見守った。しばらくして,午後の治療がないときには趣味の絵画や全身マッサージを楽しみに娘のような学生を探す女性の姿があった。いつの間にか飲水量は減っていた。過剰な飲水という現象を是正するために患者の飲水行動をコントロールしようとしていた自分に気づいたこの学生は,現象の意味を日々のケアのなかから患者とともに探り当てていったのである。しかし,私は,その後再会した女性が個室の布団のなかでうずくまる日々を過ごしていたことを知り落胆した。今思えば,このとき本書のような良書に出会えていればと悔いが残る。
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