連載 なぜから始まる授業 基礎看護技術はなぜそうなのか?・12【最終回】
終わりははじまり
若村 智子
1
1京都大学大学院医学研究科
pp.1124-1127
発行日 2009年12月25日
Published Date 2009/12/25
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1663101366
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連載についての反響
この連載もとうとう最終回。「なぜ」の意味は,いわゆるエビデンス追究のような「なぜそのケアは意味があるのか」という問いばかりでなく,いろいろな「なぜ」を書き連ねることになった。読者の心のどの部分に触れることになったのかはわからないけれど,最近,何人かの方から心温かいご意見をいただいた。“看護教育とは何かと悩んでいた時に,この連載のいくつかを読み返していたら,心に感じるフレーズがあり新たにがんばろうと思えた”と言ってくださった方,またバルーンカテーテルの記事(50巻7号)を読んで,“看護教員になろうとした当時に,思い描いていた教育に対する熱い思いを思い出した”と語っていただいた方もいた。
また,過去にこの授業を受けた学生たちが,たまたま同じ号(7号)のイラストを見て,「私がここにいる」「私はこの役割だった」と,描かれている学生たちを指さして喜んでいた。また,4回生も演習に関わっているという場面(50巻6号)では「ここに○○ちゃんがいる」「この答え方,△△ちゃんにそっくり……」と楽しんでいた。イラスト担当の藤田悌子さんには,原稿だけを読んでもらっているだけなので,実際の教育の様子をご存じないはずなのであるが,いつもリアリティ溢れる絵を描いてくださったおかげだろう。
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