連載 衛生制度の開拓者たち—明治はじめ京都における政策をめぐって・4
洋式病院の登場
小野 尚香
1
1大阪大学医学部公衆衛生学教室
pp.72-75
発行日 1994年1月10日
Published Date 1994/1/10
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1662900862
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近代社会は,病院の時代であるといえるかもしれません。18世紀から19世紀にかけて,例えばロンドンでは,産業革命によって急速に労働人口が増え,病人が増えました。病院は,その社会構造の変化に求められて生まれてきました。1780年代には約2000床であった病床数が,1861年には約1万1000床に増加したと報告されています1)。日本では,明治に入って,西洋の形を模範とした病院が各地に登場してきます。近代社会の形成のなかで求められた洋式の病院は,日本の社会と医療との関わり方に変化をもたらしていきました。
京都府官吏となった明石博高は,明治4(1871)年2月,洋式の病院設立を申議しています。彼の青写真には,経験豊かな外国人教師を招いて,西洋諸国に通じるレベルの医療・医学教育を提供していく病院の姿が描かれていました。そこには,府民の健康に関わるすべての事業とそれに従事する人たちを,この病院のもとに結集していくことも企図されていました。
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