特集 保健婦の仕事を考える
第20回自治体に働く保健婦のつどい集録
特別報告
森永ヒ素ミルク中毒被害者が提起するもの—中毒事件のさまざまな教訓を「読みとり」公衆衛生活動の原点を学ぶ
大槻 高
1
,
高城 佳代子
2
,
坪倉 きよ子
3
,
丸山 博
4
1森永ヒ素ミルク中毒の被害者を守る会
2ひかり協会職員労働組合
3京都市
4元大阪大学医学部
pp.560-569
発行日 1988年7月10日
Published Date 1988/7/10
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1662207564
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森永ヒ素ミルク中毒事件の経緯
司会 森永ヒ素ミルク中毒事件というのは,1960年(昭和30年)に起こった事件です。1960年西日本一帯で,6月ごろから,人工栄養児に下痢と発熱を伴う妙な病気が集団的に多数発生しました。8月24日に,初めてそれがMFという森永ミルク缶からヒ素が検出され,そのヒ素の中毒によって起こった病気であることが判明しました。その当時,厚生省からの発表では被害者総数が西日本一帯で12,131名,そのうち死亡者は130名でした。
この事件は,「乳質安定剤」として原料牛乳に添加された「第二リン酸ソーダ」が「ボーキサイドアルミナを製造する」工程で生じた産業廃棄物(第二リン酸ソーダ・ヒ素ヴァナジン・ソーダなどの毒物を含有)であり,森永乳業徳島工場では使用する「添加物」の品質を確かめようとしなかったという,非常に重大な事件であります。
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