発言席
森永ヒ素ミルク中毒被害者の救済活動とかかわって
深田 勲
1
1和歌山県東牟婁郡三尾川小学校
pp.177
発行日 1986年3月10日
Published Date 1986/3/10
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1662207130
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私自身が,森永ヒ素ミルク中毒被害者の親として,また子どもを教育する現職教員の1人として,本当に森永ヒ素ミルク中毒被害者の救済事業にかかわり始めたのは,約10年前である。森永ヒ素ミルク中毒事件から20年,被害者たちやその親たちが闇の中に閉じ込められていた悩みや悲しみを乗り越え,永い間の苦しい闘いや運動を通して作り上げた公害救済事業「ひかり協会」との出会いがあったからである。そしてそこには,森永ヒ素ミルク中毒の子どもを守る会の親たちが,その運動の中から導き出したいわゆる金で解決しようとする主義ではなく,被害者1人ひとりの一生の人間的な自立と発達を求める,新しいパターンの救済事業があったからである。
この一大事業を実現させるために,守る会の親たちの協力共同とは別に,さまざまな形での専門家の協力と各地域各級の行政協力がある。その中の一つに訪問教育指導者集団の働きがある。現在,ひかり協会和歌山事務所の訪問教育指導者集団には,現職教員10名,退職教員3名,施設指導員2名,保健婦2名が組織されている。その指導者集団が,1人ひとりの教育対象被害者(18名)の社会的自立と,可能な限りの発達に向けて,1年1年を1区切りとした到達目標や獲得課題を具体的に設定して,集団活動や訪問活動を通してさまざまな取り組みがなされている。
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