連載 大阪府保健所保健婦の歴史・7
―保健所創立期(7)―戦前・戦中の保健婦教育(その2)
衛保会歴史部会
pp.241-244
発行日 1988年3月10日
Published Date 1988/3/10
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1662207504
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II.大阪市立保健婦養成所
昭和12年に大阪府立社会衛生院が誕生し,卒業生は大阪府下の保健所のみならず,大阪市の保健婦としても採用されましたが,乳幼児死亡が高かったことなど,大阪市における保健婦の需要はますます高まり,ついに昭和17年に大阪市は独自に保健婦の養成を開始しました。保健婦を早急に増やす必要のあったことと,すでに乳幼児保健に携わっていた保育婦などの実務者を保健婦として教育するために,当初は第2種(入学資格は看護婦有資格者,修業年限6カ月)で始められました。
名称は当初大阪市立保健婦養成所であり,入学定員50名でありました。初代養成所長は大阪の衛生行政・保健活動に並々ならぬ努力と情熱を注いで発展させた藤原九十郎氏でありました。最初天王寺区下寺町の天王寺保健所内で開校されましたが,戦時下に焼け出されて転々とし,落ち着かないなかで勉強がつづけられました。
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