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特別寄稿
20世紀を精神科医として生きて(1)―戦前・戦中の経験を中心に
My Life as A Psychiatrist in The 20th Century
秋元 波留夫
1
Haruo AKIMOTO
1
1社会福祉法人きょうされん
1Ex-Professor of Tokyo University
キーワード:
General paresis
,
Apraxia
,
Jacksonism
,
Epilepsy
,
Antipsychiatry
,
Kyosaren
Keyword:
General paresis
,
Apraxia
,
Jacksonism
,
Epilepsy
,
Antipsychiatry
,
Kyosaren
pp.999-1003
発行日 2004年9月15日
Published Date 2004/9/15
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1405100556
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精神医学の処女地北海道─札幌の6年
私の精神科医としての始まりは北海道大学であります。東京大学4年の春,1928年4月,東京大学医学部病理学教室講堂で開かれていた日本神経学会(今日の日本精神神経学会)に紛れ込んで,たまたま聞いた若い研究者のてんかんに関する研究発表にすっかり魅了されました。あとでその方は北海道大学精神科の教授になったばかりの内村祐之という人だと知り,この先生のもとで精神医学を勉強したいという願いが強くなりました。この年11月,初めて津軽海峡を青函連絡船で渡り,札幌にでかけました。新築間もない,まだペンキの匂いのする精神科病棟奥の教授室で先生にお目にかかり,入局の許可を戴き,翌1929年4月から1935年3月まで,満6年札幌の教室で過ごすことになりました(図1)。
当時としては設備のよく行き届いた研究室,病棟で私は内村先生というかけがえのない良き師の庇護のもとに,自分のやりたいことを存分にやり遂げることができました。私の精神医学の歩みを方向付けたのがこの札幌の6年であり,未知の世界に挑戦することを学んだのも札幌の教室でありました。
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