特集 ともに学びともに歩む住民と保健婦
都市に芽生えた主体的な組織活動
保健婦はどう考えどう取り組んできたか
木下 昌代
1
1練馬保健所北保健相談所
pp.264-269
発行日 1987年4月10日
Published Date 1987/4/10
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1662207305
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はじめに
昭和47年に第15次地方制度調査会による「特別区制度の改革に関する答申」が出されました。この答申の主な内容は,特別区の区長を住民の直接公選制にすること,特別区の機能を拡充して,保健所設置を特別区の権限にすること,都配属職員は廃止することを主眼としたもので,革新都政下における長年にわたる自治権拡充の運動を,ある程度反映したものでした。
当時,保健所の特別区移管については,都・区当局,都医師会,都保健所長会,東京都職員労働組合などで,それぞれ活発な論議がされ,かなり賛否両論があり曲折もありましたが,公衆衛生活動の諸原則(科学性,総合性,現地性,即応性)からみて移管の妥当性が論じられ,地方自治法の一部改正もなされて,昭和50年4月1日,東京都区部の53保健所はそれぞれの特別区に移管されました。区長準公選運動が先駆的に進められていた練馬区では,これらのこと(区長公選,保健所区移管など)は,大きな関心と一定の成果として住民に受け入れられました。
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