特集 婦長—その機能を問い直す
管内保健活動の潤滑油を自認
後 瑤子
1
1広島県府中保健所
pp.658-661
発行日 1984年8月10日
Published Date 1984/8/10
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1662206871
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婦長になって1年6か月が過ぎようとしている頃,保健婦雑誌から保健所の婦長業務について,若手・中堅婦長が,今,抱えている問題を取り上げてみたいので,日頃感じていることを書いてみないか,と言われ,無我夢中で過ごしている毎日を振り返って考えてみる機会だと思い,勇気を奮ってペンを執りました。
私は昭和57年4月1日,婦長として府中保健所に赴任しました。当保健所は昭和51年4月,県の機構改革によって,三和保健所(神石郡3町1村を管轄),上下保健所(甲奴郡3町を管轄),府中保健所(府中市及び芦品郡1町を管轄)が合併したもので現在1市7町1村を管轄しています。管内人口は10万3千人余で,山間僻地が多く,神石郡・甲奴郡の町村は役場まで車で近い所で40分,遠い所で1時間30分位かかり,その奥は更に遠い所です。市町村保健婦の設置状況は,57年度は市に4人,3町に2人,他の4町1村にそれぞれ1人の15人でした。今年度は3人の退職者があり,1人は新採用者が入り,1村は県から派遣され,もう1町は公募しても応募者がなく未設置のままで14人となりました。
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