特集 保健婦学生がインタビュー 先輩が語る戦後の活動の軌跡(2)—23道府県・25人の証言
九州
住民と共に話し合う姿勢の中で—高城 光さん(長崎県)
川口 ひとみ
1
,
津村 佳代
1
,
戸崎 孝子
1
,
中村 美也子
1
1長崎県立長崎保健看護学校保健学科
pp.371-375
発行日 1984年5月10日
Published Date 1984/5/10
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1662206836
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国保連の保健婦指導員として
学生 こんにちは,今日は,先生が今まで保健婦として歩んで来られた道をお聞きすることで,保健婦の歩みや保健婦としての姿勢を学ぼうと思っております。どうぞよろしくお願いします。まず,保健婦になられた動機をお聞きしたいのですが。
高城 私は,長崎大学医学部附属産婆看護婦養成所産婆科を卒業し,病院に勤務した後結婚して家庭にいました。そこへ叔父から,厚生省保険局財団法人国民健康保険協会主催の保健婦指導員養成講習会に,各県1人ずつ派遣するようになっているので行かないか,と紹介されたのがきっかけです。その講習会受講の条件として,①基礎教育として女学校を卒業していること,②厚生大臣の指定する養成所を卒業していること,③未亡人であること,の3つがあったのです。私には小さい子供がいたので断わったのですが,その条件に合う人がいないのでどうしても行ってくれ,とのことで決心をし,受講することにしました。当時は食糧難だし,子供は10か月で離乳を始めなければならず,育児と研修の両立は大変でした。しかし,とにかく2か月の受講を終えて国民健康保険組合連合会の保健婦指導員になったんです。それが保健婦になった動機です。
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