特集 北海道開拓保健婦の足跡
住民と共に生き,共に働き……
思い出
心打つ彼女の人生観
水野 優子
1
1滝川保健所
pp.24
発行日 1982年1月10日
Published Date 1982/1/10
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1662206459
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私と貞広さんとは,昭和46年から数年間一緒に働いた。ちょうど,開拓保健婦が衛生部に吸収され,暫定的に残った"地区担当"の名称も解かれ,すべて開拓という名は消えてしまった時である。当時,新卒ばかりの5名の仲間と仕事をしていたが,「お母ちゃん」と慕われながらも年齢を感じさせないエネルギッシュな行動は,地区住民はもちろん,若い仲間達からも敬服されていた。集中訪問と称して保健婦全員で農村地帯を巡回する時には,率先して案内し,地区の状況や家族の1人1人までの情報を教えてくれた。当時開拓保健婦は,100世帯を基準に配置されたが,貞広さんの受持は250世帯,1,300人で多い方であった。
樺太の病院で看護婦として勤めていたが,戦火の激しくなるなか,生命からがらリック1つで引揚げてきた。シベリアへ抑留され奇跡的に生還してきた病弱な夫を助け,2人の子供を立派に成人させた彼女の人生観は,人間性となって心を打つものがある。
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