発言席
人生にかかわる仕事
寿岳 章子
1
1京都府立大学
pp.9
発行日 1982年1月10日
Published Date 1982/1/10
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1662206455
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長い闘病生活をようやく了えて,母は1981年6月27日永遠の眠りについた。するだけのことはいっさいした,最後の日々はベッドの横にずっとついていられた等々,悔いはほとんど残らないはずだが,悲しみはそのような理性の世界の判断とまったく別の次元に属するらしく,毎日毎日母のことを思って私は暮らしている。私の57年間のこれまでの生涯はほぼ母との共同生活体を形成してきたと言っても過言ではない。ほんとに長い間いっしょにことをし,いっしょに考えてきつづけたのである。
その母の最後の入院生活で,とりわけ喜びも悲しみもともにしてくれたのは,1人のすばらしい付添いさんであった。母はほんとうに運がよかったと言える。Iさんはまことにりっぱな付添いさんであった。なんでももう17年付添い生活をしてきたとかで,付添いの技術とでも言うべきものは最高のマスターぶりであった。病人のまだ意識があった頃は,話し相手にもなるし,いよいよという時期が迫ってくると又それなりの看護,もう70歳をこえた人のはずであるのにまめまめしく立ち働くゆきとどいた付添いぶりであった。
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