Japanese
English
特別寄稿
精神科医の仕事と私の人生
Psychiatric Works and My Life
臺 弘
1
Hiroshi UTENA
1
1坂本医院
1Sakamoto Clinic, Niiza, Japan
キーワード:
Way of living
,
Social support
,
Objective measures
Keyword:
Way of living
,
Social support
,
Objective measures
pp.369-381
発行日 2012年4月15日
Published Date 2012/4/15
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1405102151
- 有料閲覧
- Abstract 文献概要
- 1ページ目 Look Inside
- 参考文献 Reference
まえおき
私にとって精神科医の仕事というのは診療・研究・リハビリテーションに関わる全部で,自分の人生そのものと深く結ばれています。私は大正2(1913)年の生まれで,98年の生涯は度重なる大震災,世界大戦を含む日本の艱難と社会変動の時代でした。それでも小学校は大正民主主義の世界で,東京の山の手で先生も生徒も自由教育の中でのびのびと暮らしましたが,昭和に入って中学に上がると状況は一変して,世界不況・不景気・失業の時代となり,治安維持法による自由の圧迫や国体の強調が高まって,満州(中国東北部)への侵略が始まりました。昭和8(1933)年2月の夜,左翼作家の小林多喜二が六本木署の取調べの際に死んだというラジオ報道を聞いた時の衝撃は忘れられません。警察による殺人は度重なるのにうやむやに葬られるとは,日本は法治国家の名に値しないのかと19歳の若者は歯ぎしりする思いでした。
私は医学部4年で専門を決める時になっても,何をしてよいかわかりませんでした。その夏休みに都立松沢病院を見学に行って,沢山の患者が病室にうずくまり,廊下をさまよう姿を見て,精神病とは一体なんだろう,医者は何もできないのかと嘆息しました。時は戦争初期の暗い谷間で,自分の将来は「坂の上の雲」どころか「坂の下の物陰」に潜むことしかないと思われていたのです。
Copyright © 2012, Igaku-Shoin Ltd. All rights reserved.