特別寄稿
この手で作り上げ,育ててきた仕事を渡してなるものか—私達が1歳半健診の市町村移管を阻止した理由
速水 敏子
1
1大阪府職労保健所支部
pp.1031-1036
発行日 1980年12月10日
Published Date 1980/12/10
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1662206324
- 有料閲覧
- 文献概要
- 1ページ目
大阪府の衛生部は,従来保健所を中心に実施してきた1歳台の健康診査を,昭和55年度から市町村に一方的に移譲しようとしてきました。さらに,この際に保健所で実施している乳幼児健診全体の見直しをも指示してきました。大阪府職員労働組合保健所支部は,このことを,国の路線に追随する岸府政の具体的な福祉切り捨て,保健所統廃合路線の導入と受けとめ,健診内容の低下,切り捨てを許さないとの方針で,住民に対する署名運動にとりくみ,府議会請願運動(資料1)を背景にしての数度の決起集会,衛生部との集団交渉によって,乳幼児健診全体の見直しについては撤回させ,1歳台健診についても54年度体制で55年度もひきつづき行うとの確認をさせ,府衛生部の意図をくじくことができました。
また,この運動にとりくんできた54年12月段階に,衛生部長の天下り人事が行われました。この人—杉山氏は,保健所統廃合を推進している厚生省地域保健課長であった人で,47年の保問懇答申に中心的にかかわり,以後いくつかの県に天下り,答申に沿って自ら統廃合の"実績"をあげてきた人であったことは,組合員にとっても府民にとっても"岸府政福祉後退路線の強化!"という危機感を持たせるものでした。これに対しても1歳台問題と併行しての反対運動の中で,"(黒田政府の中で拡充してきた)保健所についての方針は変更しない""府民福祉の水準は引き下げない"という知事と新衛生部長の回答を引き出しました。
Copyright © 1980, Igaku-Shoin Ltd. All rights reserved.