特集 難病患者を支える
パネルディスカッション・1
難病患者の家庭訪問看護活動—保健・医療・福祉のチーム-ワークで—東京・杉並区
木下 安子
1
,
上條 和子
2
,
小竹 輝子
3
,
寺田 邦子
4
,
川村 佐知子
5
,
渋谷 優子
6
,
金子 久枝
7
1東京都神経科学総合研究所
2東京都杉並区東保健所
3東京都杉並区阿佐谷クリニック
4東京都杉並区河北総合病院
5都立府中病院
6日赤中央女子短期大学
7東京都杉並区高井戸保健所
pp.90-103
発行日 1980年2月10日
Published Date 1980/2/10
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1662206211
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難病患者が保健婦活動の対象となるのかどうかの検討は、ひどまずおくとしよう。とにかく保健・医療・福祉の手を待つ〈人〉が、そこにいるのだから。そして、この人・人達が現在の制度的不備と矛盾の中であえいでいるのは、事実なのだから。援助の手を待つ人・人達がそこにいる以上、まず保健婦は動かざるを得ないだろう。知識の欠如や技術の不備などを盾に活動を躊躇するのは、〈援助を必要としている人々に必要な援助を〉の原則にはずれる。知識が足りなければ知識のある人を、技術が拙劣であればその道の専門家を、援助のシステムの中に取り込んでいけばいい。こうして、東京都の保健婦研修の中に、難病の課題が組み込まれていったのである。
木下(司会) 在宅の難病患者・家族の援助のためには,医師,保健婦,看護婦,医療ソーシャルワーカーをはじめ,たくさんの保健・医療従事者の活動が必要です。しかも,その人々がバラバラに働くのではなく,チームを作って活動を展開することです。このことは,当たり前のことで,理屈ではよくわかっているのですが,いざ,現実の場面では実現していないのではないでしょうか。
それをみごとにやってみせたのが,この事例を取り巻く,今日のシンポジストの方々です。困難な療養生活を営んでいる患者・家族を援助するチームが,どのように生まれ,そして高まっていったのか。又,保健・医療従事者自身が眼を開かれ,成長できたのか,ぜひ率直にお話しいただきたいと思います。
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