発言席
地域保健の有力な推進者
矢谷 令子
1
1国立療養所東京病院付属リハビリテーション学院
pp.489
発行日 1979年7月10日
Published Date 1979/7/10
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1662206138
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早いものでもう20年も前のことになる。ケンタッキーのFrontier Nursingを見学に行ったのはまだ看学3年の時であった。深い泥沼の道,谷底のクリーク,山合いの草木の陰の一軒家,そんな所も馬で,ジープで,足で昼夜を問わず訪れるというFrontierの保健婦達。おかげでドロンコ道をかろうじて走り,クリークに水しぶきをあげて一軒家へ行った私達の思い出は今なお鮮明である。看護婦になるなら保健婦だ! と強く思った。4年生になって産科が不得手であきらめざるを得なかったが羨望と敬意の念は今でも薄らいではいない。いや近年になってますます強くなったといえる。現代の地域社会の複雑化は言を待たないが医学の歩み,社会のニードが医療形態を刺激するのか行政指針にあおられるのか,医療がそのニードを呼ぶのか私達は地域医療,医療福祉,地域リハビリテーション等という旗印の波間にあくせくと忙がしく動きまわっている。
長年の希望が実現してここ数年来茨城県守谷町の保健婦さん方と脳卒中患者のリハビリテーション訓練にたずさわって来たが,彼女達のその熱心さそのたゆまざる努力,私は役場の前にデーンと銅像を立てたいと何度も思うことがある。時間,人材,十分な技術背景があって在宅リハを押し進めているのではない。時間は医療機関による指導が多くなった母子衛生指導や栄養指導からのやりくり,日曜出勤等によるまかない,人材は保健所保健婦との協力によって成功させている。
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