連載 活動の中から
仲間は行動する(3)
吉田 幸永
1
1京都府日吉町
pp.504-505
発行日 1977年8月10日
Published Date 1977/8/10
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1662205887
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1974年,じん肺患者のJさんが,京滋じん肺患者同盟の"総会"に参加して3年目に,旧鉱山労働者のじん肺・マンガン中毒検診が実現した。表向きの活動は3年であるが,その源になる活動は昭和35年頃から始まっていた。地元のF医師は,地区になじみ始めた保健婦のわたしに,「ひょっとすると,マンガン中毒が出るかもしれんぞ」「マンガン鉱山を源にもつ河川のマンガン含有検査をやってみては……?」「この地区には硅肺患者が多すぎる。一回住民検診を徹底的にやってみては……?」と助言をくださったが,他の地区に比べて乳児死亡率が非常に高いこと,結核患者が軒並に多いことに眼をうばわれていたわたしにとって,F医師に言われたことだけはやる,それで終わっていた。ところが昭和46年7月,生活改善グループでいっしょに学習をやっている仲間の夫が,急にじん肺が悪くなり入院をした。このことが,じん肺とマンガン中毒に眼を向けさす起爆剤となった。
48年,京滋じん肺患者同盟日吉支部の結成。49年,じん肺の自主検診。50年,じん肺とマンガン中毒の自主検診。いずれも,町の予算と,医師団の手弁当奉仕で実現,51年に,初めて国の予算で大々的な検診へとこぎつけた。52年5月現在の労災認定者は38名である。
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