仕事と人生
40年をふりかえって
木村 俊子
1
1千葉県教組
pp.9
発行日 1971年10月10日
Published Date 1971/10/10
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1662204958
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私が教師になったのは昭和7年。千葉の女子師範学校を卒業して,房総半島の南の天津小学校へ赴任した。めいせんのかすりの着物に紺の袴をつけて。初任給は40円,隣の教室の同じ新卒男教師の初任給は45円だった。私も彼もまったく仕事は同じであるのに,なぜ彼のほうが私より5円月給が高いのか,そんな男女の差別に大きな不満をもち,同じクラスの仲間が寄り合うとそれが話題になった。
また,1日の勤務が終わってもまだ校長が帰らないと,先に帰ることはできなかった。私は自宅から汽車で通勤していたので,その日もいつも乗る帰りの汽車の時間がきたので,帰ろうとして校門のところまでいくと,校長に呼びもどされた。「まだ先輩教師が学校にいるのに先へ帰るとはけしからん」とおこるのであった。次の汽車まで2時間も間があるので,私はうす暗くなった教室で大泣きに泣いた。
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