吉川英治賞受賞・特別寄稿
フイラリアとの闘い
荒木 初子
pp.48-49
発行日 1967年4月10日
Published Date 1967/4/10
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1662203906
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沖の島は,高知県の西南端に位し,宿毛市片島港から直線コースで24km離れた孤島です。この島は,沖の島本島と鵜来島,姫島など付近の小島を引くるめたものが沖の島町(合併により)です。面積20.71平方粁,人口2,000,戸数472,交通機関は1日2回,市営の巡航船(冬期はしばしば欠航)があり,片島港から約2時間半でこの島に着きます。太平洋の荒浪に隔絶された島の人たちの生活程度はきわめて低く,農作物は大部分が,さつまいもと麦,落花生,わずかに野菜類を自給自足し米その他はすべて島以外から購入されています。したがって経済的にも恵まれず,生活保護家庭13%,ボーダーライン層はさらに多く,苦しい生活の連続です。青壮年者は,遠洋漁業や,県外への出稼者が多く,子供と婦人と老人が人口の大部分を占め,この人たちが,段々畑と狭い石段道の農作業は決して容易なものではありません。
昭和24年10月,私はこの島へ駐在保健婦として赴任しました。当時の私は,保健婦業務とは何をするのだろうと,なすことも知らず無医地区だったので,事務所を訪れる人びとの相談相手や,連絡を受けての応急処置などもしていました。過去の人口動態では,必要な統計資料がなく,戸籍係にお願いして,昭和25年以降の死亡原因など知ることができました。そのような状況ですから理想的な保健婦活動をしていませんので,まことに恥しいのですが,私は私なりの活動を続けてきましたので,その一部分をお知らせします。
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