特集 事業所保健婦のすべて
読者からの手紙
病院保健婦として働いて
浅野 花子
1
1日赤病院保健指導部
pp.9
発行日 1959年12月10日
Published Date 1959/12/10
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1662201980
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無我夢中で妊婦相談に,乳児健康相談にと追いかけられ,ほつと一息という頃には外来診療室は既にひつそりとしている.今日も又私の力ではどうにもならない問題を持つてKさんが見えた.子供は生れたが離婚されそうになつている.何とか話に乗つては戴けないものかというわけだが,すつかり頼り切つて貴女任せのKさんの態度にいささかの憤りを覚え,私にそんな相談なさつてもとつい口から出かかつたが我ながら冷たい態度にはつとして医療社会事業部に案内する.考えて見れば誰に相談する術もなく,思いついたのは2,3回言葉をかわした保健婦だつたのに違いない.近頃特にこの種の相談が多くなり自ら「よろず相談承り所」長として或いは医師,或いは医療社会事業員への連絡に当つている.
病院保健婦として12年,病院サービス部門としての職場であるだけに幾分の制約はあるが保健婦の職場としては恵まれているとしなければならないだろう.然しそれだけに近頃はいいようのないあせりを感じている.昨日はラジオで「恵まれぬ保健婦」という録音放送で働けど働けど我が理想は遠しの農村の同僚の声をきき,ホントにホントにと一言ずつ胸をつまらせてうなずいた.生ぬるい私の仕事を考えながら……毎日のこの忙がしさは本当に役に立つているのであろうか.私の知らぬ所にこそ私の本命があるのではないかしらと.私につながる家庭は平和でそして1年に1度の風邪引きで大さわぎをする人々だ.
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