特集 結核管理
読者からの手紙
夢多い学窓から山深い任地に来て
公家 艶子
1
1高知県安芸郡馬路村役場
pp.9
発行日 1959年10月10日
Published Date 1959/10/10
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1662201949
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何かしなければならない.ほそり行く様な重い気持と焦りを山峡のせせらぎをながめながら自問自答して来た1カ年.思えば女子大学の看護学科を卒業した昭和33年5月,大きな材木を満載して目の前を過ぎ行く森林鉄道.便乗しても「命の保障は致しません」と云う掲示板を見ながら,客車と呼ぶには余りにも貧弱すぎる軌道車に身を託し,婦長さんに伴われ,就職の喜びと不安の入り交つた気持で任地に向つたことでした.川上から流れる箸に人の住むを知つたと云う昔話を忍びつつ,山また山の重りを縫う渓流に沿つて行くこと約1時間半,わずかにひらけた山峡に見える村,これが私の赴任地でした.その村の名は馬路村と云い,保健所より33.3キロ,面積163.95平方キロで,その山峡に起伏する馬路と魚染瀬の大部落からなつている人口3,242人の奥地です.やがて新築も近しと云う空気の中に将来への抱負を語る村長さん,明るい役場にと,それぞれ希望を入れて作りあげようとする計画の中に保健婦として迎えられたのです.役場の片隅にポツンと置かれた机,無造作に重ねられたカルテ箱,この様な状態の中で,軌道車と自己の足のみをたよりに10年と云う歳月を村民の健康のために尽くされた先輩保健婦さんの跡を,果して継ぐことが出来るであろうかと不安で唯茫然としたことでした.しかしあわただしく交す着任の挨拶の中には既に保健婦と云う仕事が待つておりました.
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