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『楢山節考』復活
時田 満子
pp.33
発行日 1958年8月10日
Published Date 1958/8/10
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1662201700
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4月の保健婦総会に出席して,私と同じような国保々健婦として働いている清川さんに久しぶりで会つた.そして保健婦事業への希望や愚痴に話の花が咲いた.
村に保健婦事業を築いて来られた清川さんはも早や40才.3児の優しい母親である.人口4千余りの農村で,12年間も黙々として働き,村民の健康生活を守り,そして育てて来たのだつた.最近町村合併でS農村もA市に合併されたけれど.S農村で従来通り働いていた.保健婦のいるS地区と,それのないA地区の隔りが大きいためA地区の人々から,「S農村にだけ保健婦がいることは不合理だ.A市でも保健婦が欲しい.」と言う声が起り,現在はA市役所の国保課に所属する唯一人の保健婦なのである.A市は人口7万のうち4万が国保の被保険者で,それ等被保険者の結核患者の家庭訪問を主たる仕事にして精魂を傾けている.「診療報酬請求書より発見した結核患者全般への家庭訪問をせよ」と事務主任は希望しているが,実際に仕事では困難が多い.
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