私達の声
保健婦生活を省りみて
熊谷 竹與
pp.28-31
発行日 1954年12月10日
Published Date 1954/12/10
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1662200858
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夢のような12年間の保健婦生活,長かつたようで短かかつた樣な12年間,私の頭に浮ぶ思い出はつぎから次ぎえと交錯して何も思い出せない.ただこうして過去12年間を無事終て,現在は農家の主婦として,又2人の子供の母として平和な生活を送つていられる事を嬉しく思うのみである.ときたま子供の寢言と,夫のいびきが聞えるほかは何一つ聞えない静かな夜である.今丁度時計が十一時を打つている.私の歩いた道を省みて,筆にまかせて書きとめよう.
私の勤めた村は長野県の南の果てにあり,三方を山に囲まれた小さな山村である.面積は18.5平方粁,戸数480戸,人口2,800人の純豊村で,したがつて農業が主で副業は養蚕と製炭製薪等である.主食は充分穫れるので食生活は豊である.村民は皆純農で顔の形から円く,心も円満で住み良い村である.私はこの村で生まれ育ち5年間ばかり村を出て職業の勉強しているうち,不幸病にたおれて故郷に帰つて療養していた.その折昭和17年(戰時中)に第一回保健婦の養成講習会が開かれた.すでに健康を取りもどした私は早速受講した.すると村で仂かせて頂ける事になり私は喜んで就職した.
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