ルポルタージュ
入所まで—國立栗生樂泉園
大沼 ヨネ
1
,
渡邊 ミチ
1
1栃本県田沼町国民健康保健
pp.32-36
発行日 1952年11月10日
Published Date 1952/11/10
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1662200398
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激しい雨だつた。しかし乘客の視線はもつとはげしかつた。その中を潜つて,県の公衆衛生課柿沼主事と私達3人で患者をとり囲んで助けながら「貸切」と書いてある3等車の片隅に腰をおろした時はホツとしたが,また何となく別の世界に隔離された気持がした。7月14日午前9時雨毛線佐野駅発。これから粟生楽泉園まで癩患者を護つて行くのが私達の使命だつた。
桐生へ近づく頃幾らか雨は細つて,美しく濡れた赤城の山が目の前に浮んだ。お煎餅をすすめると懐ろ手を出して受け取つたが,爪甲は化膿して見るも痛ましい結節だらけの指だつた。気分も少し落ちついたとみえ,アミダに被つた帽子から顔面に懸けた手拭を挙げて,お煎餅を噛りながらボツボツと話しだした。若い頃は美貌と聞いた音のおもかげは無論なく,語る話の中にありし日の豊かな生活ぶりが偲ばれた。「10年前に疎開したのだが,ヤハリ東京は恋しい,雅叙園はどうなつたか,日比谷の山水閣帝国ホテル……だが今では行つてももう何も見えない—」と飜転した瞼をまたたく。「でも癒つたら子供さんが迎えに来るでしようから……」と力をつけても「養子ではどうにもなりませんよ」と淋しそうに打ち消す。実子を実子と語らぬその親ごころに,私達は慰める言葉もなく,落した視線に映つたのは汚れきつた雑木下駄だつた。
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